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サイン本発送しました

本日、吉村達也検定で2位〜10位の9名様に、2冊目のサイン本、ゆうメールにて発送しました。

いや〜、二年がかりのクイズになってしまいましたね、すみません。

 


ゆうメールですので、早ければあさって水曜には、遅くとも木曜までには着くのではないかと思います。

よろしくお願いいたします。  

男子フィギュアの演技ではじめて泣けた

最近、涙もろくなってきているのだろうか。

いや、そういう問題ではない。

リアルタイムで羽生結弦のフリー演技を見た人なら、感動せずにはいられなかったと思う。

 

昨夜のショートプログラムを見たときから、この17歳の少年の訴求力はすごいと思っていたが、きょうのフリーは、なんといったらいいのか、会場全員が結弦くんの味方にならざるをえないような、力強さと同時に、胸打たれるものがあった。

とくに途中で、ジャンプでもないのに力が抜けたようにくずれ落ちた場面では場内に悲鳴が響き渡った。が、その直後から応援の声と拍手がすさまじいものになった。

それは失敗した演技者に激励で送る拍手といった儀礼的なものではなく、観客のひとりひとりが「がんばれ!」と必死になって後押しをしているのがよくわかる、めったに見ることのないたぐいの声援で、そして彼は見事にそれに応えた。

演技終了直後、本人もリンクで泣いたが、コーチも泣いた。解説の荒川静香の声も詰まっていた。熱いものがこみ上げてきた観客も大勢いただろう。

まだその時点では上位7人の選手が演技を残しており、結果がどうこうという段階ではなかった。それなのに、すばらしい感動を巻き起こした。

メダル確定で感動、というのはよくあるが、演技そのものが観る者の心を打って歓声の嵐となるケースは、とくに滑走順第3グループではめったにみられるものではない。

 

羽生はフリーだけの得点では高橋大輔を抜いて2位だったが、さらにパトリック・チャンよりも上でしょう。

結弦くんの演技をしのぐ者は誰ひとりいなかった。

 

ついでにいうなら、なんでチャンが高橋を上回るのかよくわからん。いや、得点のつけ方からすればそうなるのだろうが、印象からいえば、ショートの成績を加味しても、高橋・金、チャン・銀、結弦くん・銅が順当だろう。

ともあれ、男子の演技で涙が出るとは思わなかったですよ。リアルタイムで見てこそだけど、そのときテレビの前にいて、ほんとうによかったと思いました。

2冊目のサイン本、スタンバイ完了

「吉村達也検定」で2位から10位までの9名様にお届けするお約束の2冊目のサイン本、準備完了しました。

お届けする作品は……

 

『薔薇色の悲劇』オリジナル版ノベルスです。つまり、後半の解決篇の紙そのものがバラ色になっているという造本上の趣向をこらした作品です。

お名前入りのサインを終え、刻印を押し、封筒に入れて封をして、宛名書きも済ませました。

今回は角川書店の封筒でお届けします。

週明けに発送しますので、週の半ば過ぎまでにはお手元に届きます。

 

大変お待たせしました。

【作者からひとこと】@原爆ドーム 0磁場の殺人

 
これは4月5日発売の講談社ノベルスの「あとがき」にも記していることなのですが、少しダブることになりますが、書いておきましょう。

本作は、『白川郷 濡髪家の殺人』(2010・8)につづく志垣警部と和久井刑事の世界遺産シリーズ第二弾です。

しかし、「原爆ドーム」という場所を選んだのは、東日本大震災とはまったく関係がありません。世界遺産シリーズ第二弾の場所とテーマを原爆ドームにしようという方針は、第一作の完成を待たずに、おととし前半の段階で固まっていたのです。

2010年の秋には、第二弾のタイトルを『原爆ドーム 0磁場の殺人』とする合意も編集部とできていました。

 

その年の10月には、パワースポットとして静かなブームになっている岐阜県の山間にある分杭峠(ぶんぐいとうげ)の0磁場を取材し、さらにぼくにとっては三度目となる原爆ドーム周辺の取材も済ませました。

そして詳細なプランも組み立て上がり、さあそろそろ執筆開始というときに、2011・3・11の、あの出来事が起こったのです。

大幅に発売のタイミングをずらさざるをえなくなりました。

いくら原発のことは取り上げていないといっても、また放射能の恐ろしさそのものはテーマにしていないといっても、やはり物事には時期というものがあります。

 

しかし、しばらく執筆を先延ばしにしているうちに、昨夏、広島の原爆に関して、NHKテレビで非常に興味深いドキュメンタリーに出会いました。それがどんなものであったのかは、作品でごらんください。

そして、このドキュメンタリー番組が重大な史実をあぶり出したにもかかわらず、それに世間がほとんど反応しなかったことに、ぼくは「ああ、これが日本というものなのかもしれない」と思ったのでした。

それを主人公(志垣警部や和久井刑事ではなく、今回の物語の中心人物です)の思いとだぶらせてみたのです。

 

まあ、それはそれとして、あいかわらず志垣と和久井はバカをやってます。笑いは、このシリーズには欠かせないし、人生にも欠かせません。

いまの原発問題とはまったく無関係なストーリーですので、肩肘張らずにお読みいただける内容になっています。

また、たまたま担当編集者の河原さんが広島出身ということで、ご家族・ご親族の「ネイティブ」の方から「広島語」のご指導をいただき、その点でも、かなり雰囲気は出ていると思います。

お楽しみください。

担当編集者から vol.49『原爆ドーム 0磁場の殺人』@講談社ノベルス

 
お待たせをいたしました! 志垣警部と和久井刑事の「世界遺産シリーズ」の第2弾が満を持して刊行されます。

メインの舞台は広島の原爆ドーム。18年前に、その近くで殺された高校生。犯人は捕まらずお蔵入りになっていました。しかし現在になって、都内で起きた殺人事件の被害女性が、広島の事件と関わりがある疑いが浮上するのです。

さて、時を超えた事件の真相は? というミステリーです。

 

しかし稀代のストーリーテラーである吉村先生は、そのような話だけで展開することを潔しとはしませんでした。新たな要素を入れ込むことを目論んだのです。

一昨年の秋に個人的なご興味から長野県のゼロ磁場「分杭峠(ぶんぐいとうげ)」を取材され、この場所も小説のテーマになると確信し、原爆ドームと組み合わせたらどうだろう、とお考えになったのです。

ここに“世界遺産”と“パワースポット”という鉄板の舞台が用意されたのでした。とてつもない贅沢! 広島と中央アルプスを結ぶ殺人――。壮大なスケール感もあります。
 
また原爆ドームは、歴史的に重要な場所でもあります。ここに、時代という縦軸と、東京を含む3つの場所という横軸が組み合わされ、展開の面白さはもちろんのこと、立体的な構造の極上の作品が生まれました!

 

ところで広島が舞台の作品なら、登場人物の台詞は広島弁のほうが自然です。“語学の達人”吉村先生も映画『仁義なき戦い』のDVDなどをご覧になり、勉強をされたのですが、ヤクザ映画ゆえ、どうもヤクザ口調になってしまったようなのです。

私事で大変恐縮ですけれども、私の母は広島出身で、私の従姉妹は現在も広島在住です。そのふたりに広島弁の監修をお願いしました。特に母は、吉村先生の作品に関わることができたことがとても嬉しかったようで、私にとりましても、よい親孝行となりました。

ということで、これでもかというくらいに、てんこ盛りの内容です!

期待を裏切らないこと請け合いです。ぜひともお手にとってご覧をくださいませ!!
(講談社ノベルス  河原健志)

 

※【作者からひとこと】は別項で、追ってUPします。

原爆ドーム 0磁場の殺人@講談社ノベルス

 



224-1-携帯-obi 原爆ドーム 0磁場の殺人 帯あり.jpg


まずはカバーのみご紹介。



詳細は追ってUPします。

講談社ノベルスより、発売は4月5日(木)です。

春の訪れ

 

携帯-雲ひとつない.jpg


休暇中のあいだに、京都はすっかり春になっていました。

文字どおり「雲ひとつない」青空。

 


全天、雲量ゼロです、桜も咲きはじめています。

携帯-冷ぜんざい.jpg

 

これは「冷(れい)ぜんざい」。細かく砕いた氷が入っています。

こういうメニューが似合う暖かさ。

本格的な桜観光の季節はもうすぐです。

一週間ほど更新お休みします&今後の発売スケジュール

 
さて、旧ホームページから新ブログに切り替えてから、明日で丸一年(新ブログの接続は3/23でしたが)になりますね。

このあたりで、一週間ほど更新をお休みさせていただこうかなと思います。

今後の発売スケジュールをざっとお知らせしておきます。

 

4月4日に講談社ノベルスより『原爆ドーム 0磁場(ゼロじば)の殺人』が刊行されるのを皮切りに、角川ホラー文庫の新作、魔界百物語の第4弾が5月にかけて待ち構えています。

そのあたりのスケジュールは、追ってお知らせします。

ではでは、また後日、更新したブログでお目にかかりましょう。

いろんな外国語憾渋絅リシア語と㉑古典ギリシア語―「?」がない言語

 
おもわず数学や物理学の方程式を連想してしまうようなギリシア文字。

最初の三文字がアルファ・ベータ・ガンマというのは、よく知られている。でもこの表記は、古典ギリシア語の発音と、現代ギリシア語の発音がごっちゃになっている。

 


古典ギリシア語では「アルパ」「ベータ」「ガムマ」。

現代ギリシア語では「アルファ」「ヴィタ」「ガマ」。

それに現代ギリシア語の「ガ」は、喉を絞るようにして出す、アラビア語の「ガイン」に似た発音で、日本語の「ガ」とはまったく違う。

 

古典ギリシア語の母音には「ウ」の音がない。「ア・イ・エ・オ」と、半母音の「ユ」だ。

その影響なのか、現代ギリシア語では「ウ」の母音はあるものの、「ウ」を一文字で表わすアルファベットがない。これは非常にめずらしい現象だ。

オミクロンの「o」と、イプシロンの「υ」を組み合わせて、「oυ」で「ウ」になる。

 

疑問符「?」は、日本語にも採り入れられて、疑問文の最後に使われる符号としては世界共通の感があるが、必ずしもそうではない。

スペイン語では、疑問文の文末に?をつけるだけでなく、文頭に?を逆立ちさせた「逆さクエスチョンマーク」をつけ、これで本文をはさむ。スペイン語では感嘆文もこのパターンで、文末に!をつけるだけでなく、文頭に!を倒立させた「逆さびっくりマーク」を置いて、これで文をはさむ。

右から左へと書くアラビア語では、?は鏡に映したような「左右反転クエスチョンマーク」となる。ただし、同じように右から左へと書くヘブライ語では、?は通常バージョンだ。

 


そしてギリシア語には?がない。

これはアテネに行ったとき、まったく気づかなかった。とくにギリシア語に興味を抱かず、ポケーッとして観光していたからだろう(笑)。

ギリシア語の疑問符はセミコロン「;」で表わす。

たとえば「お元気ですか;」とか「あなたのお名前は;」という感じだ。


フランス語やイタリア語やスペイン語などと違って、現代ギリシア語は、日本人にとってなじみのある単語や言い回しがほとんどないため、EU諸国の中でも非常にとっつきにくい言語のひとつだと、ぼくはそう感じる。

あのときぼくはナニ語をしゃべっていたんだろう(2)

高校のときに、勉強はきらいだったけど英語は好きで、外語大とかそっち方面へ進みたいと父親に言ったら「英語でメシが食えるか」と時代錯誤的な一喝をくらって、あえなく語学の道をあきらめたことは以前に書きました。

その反動もあって、大学時代はラリー車で山道を早く走ることのみに明け暮れ、英語はどこへやら。ニッポン放送へ入ってからも、英語とは無縁の生活。

なので、いざ実戦となっても、耳が英語を聞き取れるわけないんですよね。言葉も出ない。しかもアガる(笑)。そして海外旅行の仕組みを知らないから、言葉を聞き取れても、意味がわからない。

TRANSIT この単語がそうでした。

 


南回りの最初の停機地・香港に着いたとき、ぼくは夜行バスで高速のサービスエリアに着いたような感覚でした。

つまり、乗っていたい人はそのまま座席で寝てていい。ちょっと気分転換したい人はバスならぬ飛行機の外に出ていい。そう思って機内にとどまるつもりでした。

ところが、ぼくにとっては聞き取り不能のドイツ語と英語のアナウンスは、全員降りろといってるらしい。日本語のアナウンスも当然あったはずですが、記憶にない。ともかくみんなが立ち上がって出口へ向かう。

 

アテネまで行く自分が、なぜ香港で機から降りなきゃならないのか、当時のぼくにはまったく理解不能でした。でも、周りの席もみんな外国人なもんで、事情をきけません。

そうそう、両隣の席はガイジンでした。「やあ、ぼくはヨシ。きみは日本に観光にきてたのかい」なんて気楽な会話ができるわけもなく、殻を閉じたシジミ状態でした。

 

とにかく飛行機を出て通路を進むと、いまでも覚えています、つきあたりのT字路に女性の係員が立っていて、細長くて赤い札をかざしながら、「とらんじっ?」「とらんじっ?」と呼びかけているのです。

その札をとった人は右手に進み、とらない人は左手に進みます。

「とらんじ?……寅次郎?」

いや、さすがにそれはツクリですが、「とらんじっ」が、たぶんTRANSITと綴る単語なのかもしれないと推測はできても、意味がわからないぼくにはどうしていいかわかりません。

もしかすると、この赤札を受け取る人は特別な事情のある人で、そのまま左へ進むほうが正解かとも思えます。

ちょっと頭を働かせれば、「あい・あむ・ぎりしあ(爆)」とか言って、必死にアテネ行きの乗客であることをアピールすれば、どちらに行けばいいのか、すぐこの係員が教えてくれたはずなんです。

でも、そんな機転すら働かないうちに、列が進んで順番が回ってきた。「えいっ」とばかりに、赤い札をとって右に進みました。結果は正解でしたが、そのときのぼくにとっては、くじみたいなものでした。

 

あとでわかったことですが、羽田からフランクフルト行きの南回りルフトハンザには、香港で降りる客が大勢いました。と同時に、香港から新たに乗ってくる客もたくさんいて、彼らには、香港で降りた客が使っていた席をわりふることになります。

つまり機内清掃をしなければならないわけで、このとき機内に客が点々と残っていては作業の邪魔だから、いったん全員を下ろしたんですね。

しかし、パキスタンのカラチを過ぎたあたりからは空席が多くなり、新たに乗ってくる客の数も少なかったので、いちいち全員を下ろす必要はなくなる。テヘランに降りたかどうか記憶がないというのは、降りたとしても、客は機内にとどまっていてOKだったため、ぼくは爆睡していたからだと思います。

 

まあ、そういうトランジットの仕組みがわかってなかったので、香港・啓徳空港のトランジットルームで待ってるあいだも不安の極致。

ひょっとしたら、飛行機じたいを入れ替えるための一旦「下車」なのではないのか。とすると、座席の上の収納に残してきた手荷物はそのままでよかったのか、あずけたスーツケースはどうなのか、疑問の嵐です。

しかもこの便は、ほんとに日本人乗客が少なかった。見渡すかぎり「異人さん」ばかり。

で、ぼくは自分と同じ搭乗券を胸ポケットに差している、はげあたまに髭をたっぷりたくわえた外国人男性に目をつけ、まるでストーカーのように彼から離れないようにしていたのでした。その人がバーカウンターに行けば、自分も隣のスツールに座って飲み物を注文する、といったふうに。

いやあ、いま第三者の目で、そのときの自分を見てみたいです。爆笑ものですね。

 

とにかく、そんなこんなでギリシアのアテネに着きました。ついに初の外国です!

エーゲ海だぜ! すばらしい天気でした。

 

そしてぼくはタクシーをチャーターして、アテネ半日観光に出かけるのですが、いったいどうやって値段などを交渉したんだか、まったく記憶にありません。

ギリシア語はあいさつひとつ知らないし、英語も実戦未経験レベルとあっては…。おまけにギリシア人の運転手だって英語がぺらぺらというわけではなかったと思うのですが、いま残っているスナップ写真を見ると、紺碧のエーゲ海(たぶんサロニカ湾)をバックに、タクシー運転手といっしょにシーフードを食べているショットが。

不思議ですねえ。

 

で、このアテネからエジプトのカイロへ飛ぶ段になって、空港の待合室で、たしか北欧のどこかの国からきたとかいう同年代の金髪青年1名と、金髪女性2名の3人グループと出会い、「どこいくの〜」「カイロ」「あ、おれたちも〜」みたいな会話を交わすことになりました。

これも英語以外にはありえないのですが、「ハワイ湯〜」レベルの会話しかできなかったぼくに、高等なコミュニケーションがとれていたはずもありません。

でも、ともかくいっしょの便でカイロへ向かい、あっちに着いたら四人で街を回ろうという約束になりました。

 

そうか、向こうの男は「両手に花」状態だけど、ひとりあまるかも、なんて、若気の至りで期待したりして。アホというよりありません。

ところが、そうです。ぼくには大きな問題がありました。台湾専門旅行社の「立派な手配」のおかげで、エジプトのビザがない!

ビザなしを事前に承知で、アラビア語ひとつ話せないまま「未知の国 古代文明の王国エジプト」へ向かおうなんてバカな日本人は、百年にひとり現れるかどうかでしょう。

そのひとりがぼくだったわけです。

そして飛行機は、砂漠の中に緑のナイルデルタが広がるカイロに着きました(つづく)。